もえるおはなし
そこはかとなく書き綴る脳内ラノベ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
『妹に萌えないで』 あとがき
 しばらく間が空いたけど、取り合えずこれでお終いです。とことんシビアに突き放したラストにしようかなとも思ったけど、続きが書けなくなるのもイヤなので、定番のドタバタで終わらせてしまいました。

 次回作の構想とかネタとか、いろいろ頭の中にはありますが、あんまり反応も無いようなのでしばらく修行しなおして来ます。
 4年後にまた会いましょう。

スポンサーサイト

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

第14話「夏の終わり……」
 夏休みの残りの約二週間は、もう何をする気力も無いままに過ぎて行った。
 ありすの去った次の日曜日、モエケットと呼ばれる同人誌即売会の当日だったが、当然ながら僕は出掛ける気分ではなかった。でも、同じくサークル参加で出店してるちとせに強引に引っ張られて、結局のところはるなの思い通りに扱き使われてしまった。
 ほとんど開場前と量の変わらない在庫の山を抱えて疲れきって帰宅した僕は、録画していたその日の『ドキドキファンタ』をチェックした。とくに断りのメッセージとかを画面に見掛けることは無かったが、ファンタアップルの声はありすではなくなっていた。劇団の先輩のかわいみなみがこれまでのいじわる魔女役と二役で演じていた。
 劇団ではありすと仲良しで自らの趣味を物まねだというかわいみなみは、巧妙にありすのファンタアップルを真似ていた。何気に眺めてるだけの視聴者なら違いは分からなかったのかも知れない。しかし、僕にはその声の違いが痛切に響いた。
 翌週。夏休み最後の放送ではOPも歌だけ以前のものに差し替えられていた。もうこの番組からありすのいた痕跡はすべて失われてしまった。
 ファンタアップルの声が変わってから一週間。この作品のネットでの感想は怖くて見ることが出来ない。たぶん非難ごうごうでありすに対する誹謗中傷が飛び交ってるのに違いない。とくにその可能性の高い巨大匿名掲示板サイトは、もう巡回することも無いだろう。

 そして夏休みが終わった。
 ありすのいた部屋にはありすの荷物がまだ手付かずのまま残ってる。しばらく母親とアメリカに行ってみるけど、そのままアメリカに留学するのか日本に戻るのか、いずれにせよ定住先が決まったら連絡するから送ってほしいとのことだった。
「お兄ちゃん、ほしかったら一着ぐらいはかまわないけど、たくさん持っていかないでね」なんてわけのわからないタンスの張り紙も、引越し業者が来る前には剥がしておくべきなんだろうけど、何かそこだけ今でもありすがいるみたいで張ったままにしてある。
 さすがにタンスの中を物色したりはしなかったけど、ありすのベッドに寝転んで、ありすの痕跡を感じ取りたくなることはしばしばだった。
 雑然とした本棚や、散らかしたままの机の上はがさつなありすの性格を現していたけど、自分で決めて出て行くんなら片付けてからにしろとかツッコみたいところだけど、そのせいで部屋にはまだありすがいるかのような感じもした。ビデオレコーダーも録画予約が入ったままになってるけど、どうするつもりなのか謎である。ハードディスクがいっぱいになる前に解除してやるのが親切なんだろうな。

 九月。二学期最初の朝。前夜、溜め込んだ宿題の片付けて夜更かしをした僕は、揺り起こされる感覚で目覚めた。
「……ちゃん、起きて」
 しまった。目覚まし時計をセットしとくの忘れてたっけ?……と思って目覚ましの時刻を見たら、セットした時間にはまだ若干時間がある。それともこの目覚ましが遅れてるのか?
「お兄ちゃん、朝だよ、起きて!」
(お兄ちゃん……?)
 ちとせがふざけてるのかと思って、僕は怒ってやろうと上半身を起こした。しかし、そこにいたのはちとせじゃなかった。
「ありす?」
 そこにいるのは見紛うこともないありす本人だった。
「おはよう、お兄ちゃん。てへへ……帰って来ちゃった」
 僕は飛び起き、何気に照れ笑いしてるありすを抱きしめた。
「早く朝ごはん食べないとお姉ちゃんに怒られるよ」
 僕はありすを放すと、身支度を整えて一階のダイニングへ降りていった。テーブルの上には久しぶりに三人分の食器が並んでいた。
「帰ってくるなら帰ってくるって連絡しなさいよ。始業式の朝にいきなり帰ってくるなんて……」
 ちとせは少しご機嫌斜めのようだった。
「空港に着いたのが深夜だったから帰って来れなかったんだよぉ」
 僕が席に着いて三人揃ったところで朝食。いつもと比べて量が少なめなのは気のせいではないみたい。ありすが急に帰ってきたから二人分の朝食を三人で分けたってところなんだろう。ちとせの不機嫌の理由はこれかも知れない。

「お兄ちゃん」
 ありすに呼びかけられて僕は彼女の瞳を見た。
「約束……覚えてる?」
 約束? そういえば……と僕はありすとの別れ際に交わした約束を思い出した。十年近くも前に別れた幼馴染との約束なら忘れてしまっていても無理は無いけど、たった二週間ばかり前に別れたありすとの約束はいくらなんでも忘れているわけがない。
「今度また会えたらお嫁さんにしてくれるって言ったよね」
 ありすはそう言って封筒を取り出し、その中身を示した。
「ちゃんとお母さんとお義父さんの許可、もらってきたよ」
 それは二人の両親が記した婚約同意書と、保護者の署名欄が記載された婚姻届の用紙だった。
 ありすは悪びれず言った。
 おいおい、そりゃ確かに約束はしたけど、それはその場の空気ってやつで……いくらなんでも一方の当事者の知らないところで進展しすぎだろ。僕は慌てて弁解を試みようかとも思ったけど、今までに見せたことの無いありすの本当に幸せそうな笑顔を見て、そんな気は失せてしまった。
 僕がありすを好きなのは確かだし、今なら本当にお嫁さんにしたい。僕もありすもこれからどうなるかは分からないけど、その時になってお互いに好きならそのまま結婚すればいい。そうじゃないなら、その時はその時だ。
 ありすの笑顔に負けて僕はそれを受け入れようとしたけど、突然、何か殺気のようなものを感じた。
「あたしがけーちゃんのお嫁さんだよ!」
 成長不良の舌足らずな声……まりあだった。
「勝手に決めるな!」
 僕はどこからか勝手に沸いて出たまりあの言葉をきっぱりと否定したつもりだったけど……
「ひどいよ、お兄ちゃん……ありすを弄んでたのね」
「いや、こいつの言ってることは違うって……」
 なんだかありすが本気にしてしまったみたいで、どうやって誤解を解こうか悩む以前に頭がパニクってしまって働かない。
「そういえば敬ちゃんって、私にも結婚しようって言ってたよね」
 追い討ちを掛けるようなことを言ってるちとせ。おいこら、いくらなんでもちとせ相手にそんなこと言うわけないだろ……と言い返そうとして思い出した。
「それって、姉弟で結婚できないなんて知らなかった幼稚園の頃の話だろ!」
「私たち、本当は姉弟じゃないかもしれないし……」
「そんなわけ無いだろ」
 なんかやけに悪ふざけしてくるちとせ。いったい何を考えてるんだ?
「でも、お姉ちゃんにもその気があったんだよね、お兄ちゃん……」
 不安げな視線を向けるありす。おいおい、そんなわけのわからん話を本気にするんじゃない。
「ダメだよ! ぜったいにけーちゃんのお嫁さんはあたしなの!」
 まりあはまりあで勝手な自己主張をやめない。
「おまえら、いい加減にしろよ!」
 僕がそう叫びそうになったのよりも一瞬早くちとせが言った。
「こういうことだから、これはお預けね」
 ちとせは両親の同意書と婚姻届の用紙をありすから取り上げた。
「お、お姉ちゃん!」
 ありすは慌てて取り返そうとしたが、ちとせは素早くそれをかわして席を立った。
「結婚を前提にしたお付き合いなんて、二人とも自立してからにしなさい! 建前上は兄妹なんだから、人目をはばかるような付き合いを大っぴらに認めるわけにはいきません! わかったわね!」
 ちとせはいつになくきつい口調で言った。どうやら我が家では両親よりもちとせの方が権力は上らしい。
 ありすは不服そうにぐだぐだ言ってたけど、ちとせは聞く耳持たない様子。一方で無意味に勝ち誇ってるまりあ……こいつ、状況わかってるのか?
「さあ、早くしないと学校、遅刻するわよ!」
 ちとせに促されて登校の準備を整える僕たち。僕が玄関で靴を履いているとちとせがそばに寄ってきて言った。
「今の敬ちゃんには本気でありすちゃんを受け入れる心の準備なんて出来てないんでしょ? 状況に流されてるだけじゃ、お互い不幸になるだけよ。兄妹以上の付き合いなんて、もっとお互いに落着いてから始めなさい。そして、来るべき時が来たらちゃんと真剣に向き合えるように、覚悟を決めておきなさいね」
「ちとせ……」
「それから、私とのこともちゃんと考えて置きなさいね。正式に婚姻届は出せなくても、敬ちゃんがお嫁さんにしたいって言うんなら私はOKだから……」
 そのネタで引っ張るなよ、おい。
 なんか冗談ではぐらかそうとしてるみたいだけど、ちとせが僕とありすのことをちゃんと考えてくれているのはわかった。確かに僕とありすは流されるままに一線を越えた関係になってしまったけど、本当ならじっくり関係を築いていかなければいけないことだ。僕たちはこれからそんな堅実な関係を育まなければいけない。婚約とか結婚というのはその先の帰結に過ぎないんだから……

「沢村さん! 今日の日直、あなたじゃなかったの!」
 始業ギリギリに教室に飛び込んだ僕たちを待ち受けていたのは、クラス委員長の北村あやかの怒声だった。どうやら今日の日直はありすだったらしい。
「あ、忘れてた……」
 悪びれもなく舌を出すありす。
「忘れてたじゃないわよ! 当番なんだからちゃんとやりなさい!」
 相変わらずありすとは犬猿の仲って感じだ。
「どうせ今日は始業式なんだから。日直なんてすることないじゃん!」
 これまた平然と口答えするありす。ありすが八方美人じゃないのは別に構わないけど、だからといってここまでクラス委員長と仲が悪すぎるのも困りものだな。
「じゃあ、明日も日直やりなさいね」
「それは嫌!」
 僕はありすのとばっちりを受けないうちにと、こっそり自分の席に急いだ。
「遅いなぁ、沢村」
 背後から関西弁で呼び掛ける声。夏休み中頻繁に目にしてたからちっとも久しぶりって気がしない同人女だ。
「冬の新刊の話やけどなぁ……」
 いきなり同人誌の話題を振ってくるはるな。おいおい、僕が協力するのはこの前の一冊だけだったんじゃ……
「でもなぁ、あの在庫の山見たら、沢村ももう後には引けんやろ」
 いや、僕はもうやめたい。

 二学期が始まり、夏が去って秋が来た。いろいろあった夏休みだったけど、結局、ありすも戻って来て夏休み前と何ら変わらない日常が始まった。表面的に唯一つ変わったことといえば、ありすの眼鏡である。以前のきつくて似合わない眼鏡に代わって、今は僕が選んであげた眼鏡を掛けている。こっちの方が似合ってるし、心持ち表情も穏やかに感じられるようになった。とはいえ、がさつな性格までは変わらなかったけど……
 そしてしばらくして、ありすは再び劇団のレッスンに通い始めた。声優の仕事はもう無いけど、元々それが目的で劇団に入ったわけでもないし、続けていればいつか自分のやりたいことが見えてくるだろうってことらしい。
 テレビからありすの声が聴けなくなったのは寂しいけど、これからも僕はありすを応援していくつもりだ。兄として……いや、今はもうもっとありすに親密な存在として。そして、またいつかアニメの声優として復活する日が来るのを心待ちにしたい。

(了)

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

第13話「そして、さよなら…」
「敬ちゃん、起きなさい!」
 その日の朝、僕はちとせに叩き起こされた。一瞬、学校に遅刻するのかと心配したが、考えてみればまだ夏休み。登校日だというわけでもない。いつもなら昼近くまで寝てるところである。
「何だよ。今日は朝から何かあるのか?」
 寝ぼけながら応える僕に、ちとせは言った。
「用も無いなら起こさないわよ。さっさと起きなさい! それに……」
 一瞬言葉を詰まらせ、なぜか顔を赤らめながらちとせは続けた。
「そこの寝ぼすけ猫さんもちゃんと起こしてくるのよ!」
 ちとせの視線の先を見て僕は背筋が凍った。そこには一糸まとわぬ姿でありすが横たわっていたからだ。その僕だって同じだ。気付かないままに朝立ちの性器をちとせの前にさらけ出していた。
(まずい……)
 僕は慌てて掛布団を引っ張り、ありすと僕の下半身を隠した。
「今頃取り繕ったって遅いわよ。ちゃんと起きて来なさいね!」
 ちとせはその光景を追求することなく、そう言って去っていった。
(ちとせに見付かってしまった……)
 僕は頭の中がパニクった。いくらちとせが天然系のボケボケだからといっても、この光景を目にしたら僕たち二人の関係に気が付かないわけはない。「昨晩は暑かったから二人とも裸で寝てたのね」なんて反応は常識的にありえない。
 ちとせに知られたら両親に伝わるのは時間の問題だ。そうなったら僕とありすはどうなってしまうんだろう? 僕は頭を抱えて現実逃避したくなった。
「夢だ。そうだ、これは夢なんだ。もう一度寝て起きたら現実の世界に戻れる……」
 僕は二度寝を決め込もうとしたが、ちとせの言葉に含まれていた軽い怒気を思い出した。ちとせは滅多なことでは怒りを面に出したりはしないけど、怒ってる時には微妙に言葉や態度に怒気がこもる。他人にはほとんどわからないレベルみたいだけど、双子の僕にははっきりとそれが感じられる。
 ここで起こしに来たちとせを無視して二度寝なんかしてたら、ちとせの怒りに油を注いでしまうのは火を見るより明らかだった。ちとせを本気で怒らせたら……この家では食事にありつけなくなってしまう。
「そうだ。ちとせを宥めて両親には口止めしてしまえば良いんだ」
 僕はちとせがちくったりしないうちに起きていこうと思い、傍らで幸せそうに寝息を立てているありすを揺り起こした。しかし、すべてはもう終わっていたことに、この時の僕には気付かなかった。

 僕に起こされたありすは、そのまま風呂場にシャワーを浴びに行った。僕はキッチンで朝食の準備をしているちとせのところに行って、うまく口止めしようとタイミングを見計らっていたが、なかなかきっかけがつかめない。
「ありすちゃんが上がったら、敬ちゃんもシャワー浴びてらっしゃい!」
 なんか僕たちが不潔だって怒りのオーラが漂ってるみたいだ。
「こんな時間に起こして、今日はいったい何があるんだ?」
 僕は話題を逸らそうと、そう訊ねた。
「お義母さんがありすちゃんを迎えに来るのよ」
「迎えにって……?」
 思い掛けない答えに僕は訊き返した。
「ありすちゃん、もうこの家には住めないって……敬ちゃんには心当たりあるでしょ?」
 穏やかなちとせの口調が余計に僕の胸を痛撃した。二人のことがもうとっくにバレていて、それでありすが連れて行かれるってか?
「ちとせが何か言ったのか?」
 僕はすでに気付いてたちとせが父か義母に告げ口して、それでありすを迎えに来るのかと考えた。でも、そうではなかった。
「私はそんなことしないわよ」
 一息おいてちとせは続けた。
「これはありすちゃんが自分で決めたことなのよ。出て行くなんて話、おとついの晩に聞かされただけだから……」
 一昨日にはもう、今日出て行くことは決まっていたらしい。昨日のプレゼントや外食はすべてありすが出て行く別れのあいさつだったなんて、僕はまったく気付かなかった。昨晩ありすと抱き合った時だって、これからもずっと一緒にいるつもりだったのに……
「敬ちゃん……昨夜はちゃんと優しくしてあげた?」
 僕は黙って肯いた。

 やがて、ありすがシャワーを終えてやって来た。すでに外出の服装だった。
「お兄ちゃん、ごめんなさい……」
 ありすは今日、自分が出て行くこと、そしてそれを黙ってたことを僕に謝った。
「でも、私の気持ちは本当だよ……」
 僕はそれには応えず、交代でシャワーを浴びに向かった。
 三人で朝食をとる間も僕は黙っていた。別にありすのことを怒っていたわけではない。ただ、ありすがいなくなってしまうという不安に直面し、何を言葉にすれば良いのかわからなかったのだ。
 キリストの最後の晩餐というのは弟子たちに囲まれた賑やかなものだったらしい。でも単に「最後の晩餐」と口に出したとき、それは沈黙に包まれた冷たく寂しいイメージが思い浮かぶ。この日の朝食がそうだった。僕とありすは禁忌を犯した大罪を償うために引き離される罪人のように感じた。

 しばらくして義母がやってきた。ことがことだけに僕には義母と顔を合わせる勇気も無く、自分の部屋に閉じこもった。いつ呼び出されて責め立てられるか、僕はびくびくと怯えていたが、結局呼び出されることは無かった。
 最後に身支度を整えて、出て行く間際になってありすがやって来た。
「お兄ちゃん……」
「もう行くのか?」
 ありすはこくりと肯いた。
「ありすはお兄ちゃんのことが好き。本当はいけないことなのに気持ちが止まらないの。このままこの家にいたらどんどんダメになって、お兄ちゃんに迷惑掛けてしまう……だから、お母さんに迎えに来てもらったの……」
「迷惑なんて掛けたっていいさ。いつまでもありすがそばにいれば、僕は……」
 ありすは不意に僕の口を唇で塞いだ。そしてゆっくりと離れる。
「私たち、兄妹になる前に出会ってたら良かったのに……」
 とめどなく流れてくる涙をありすは拭った。
「お兄ちゃん。今度、また出逢うことがあったら、ありすをお嫁さんにしてくれる?」
「ああ」
「約束だよ……」
 ありすは右手の小指を突き出した。僕は自分の小指をそれに絡める。そして、ありすを引き寄せきつく抱きしめた。僕たちはまるで今生の別れに来世での逢瀬を誓い合う恋人同士だった。

「お義母さん、敬ちゃんに『ありがとう』って言っといてって……」
「え?」
 ありすが行ってしまった後、ちとせが言った言葉は僕にとって意外だった。
「ありすちゃんが一番大変だった時に、敬ちゃんがいてくれて良かったって……」
 事情をつかめず呆然としてる僕に、ちとせは事の顛末を語り始めた。

 すべての原因は、ありすが博多のイベントに出掛けていったあの日に始まっていた。
 タレント業では零細な劇団《うみすずめ》では所属のタレントがイベント等に出掛けるときは東山先生が同伴するのが普通だった。しかし、その日は他の用件で東山先生は付いていけず、劇団には他に適当な人がいなかった。何か初めての仕事ならそういうわけにはいかなかったが、『ドキドキファンタ』のイベントだし、見知ったスタッフや共演者も一緒ということで、ありすのことは主題歌のレコーディングを担当したレコード会社のディレクターに任せることになったらしい。
 しかし、これが最悪だった。博多での宿泊先のホテルにはたまたま別の用件で『ドキドキファンタ』を放映しているキー局のプロデューサーがいたのだが、この男が品行の良くないことでは業界で有名な人物だったらしい。よく自局のドラマの主演女優に手を付けてるという噂があったらしいのだが、そんなことありすが知るわけもない。
 この晩もこの男はその権力をいいことに『ドキドキファンタ』の出演声優に手を付けようとしていたのだが、ちゃんとマネージャーの付いてる声優さんはガードが固くて手が付けられない。そこでありすが格好の餌食となってしまったわけだ。ありすのことを頼まれていた音楽ディレクターも泊まる部屋が離れ離れで、ずっとありすのことを見ていられたわけじゃない。
 件のプロデューサーは巧みにありすを自分の部屋に呼び出し、そしてキー局プロデューサーとしての権力で脅し、ありすを手篭めにしてしまったらしい。脅されたありすは叫んで助けを呼ぶことも出来ず、相手のなすがままに犯されてしまい、そして傷心の状態でイベントに出る気力も失い、一人で帰って来てしまったらしい。
 博多から戻って来たありすは最初に劇団に駆け込んで、東山先生に泣き付いたらしい。東山先生は作品関係者にいろいろ手を回したけど、そのプロデューサーの権力は絶大で、誰も見て見ぬふりを決め込むだけだったらしい。結局、真相は伏せられ、ありすだけが悪者にされてしまったのがこの事件のすべてだった。もちろん各方面からありすに向けられた非難は東山先生が防波堤になってくれていたから本人に直接届くことは無かったけど、それ以前にありす自身は深く傷付いていた。
 あの日、僕と兄妹としての一線を越えてしまったありすの事情はそういうことだったらしい。
 意外にもちとせはありすと僕のことはすべて知っていた。ありすは何事もちとせには包み隠さず話してたらしい。さすがにあの日のことは自分の中で整理が付くまではちとせにも話せなかったみたいだけど……傷心のありすに付け込んで兄としての立場を逸脱してしまった僕と違い、ちとせは最後までちゃんと姉としての立場を全うしてたようだ。

 ちとせから事情を知った僕は、自分のやって来たことが傷心状態のありすに付け込んだだけだったということを理解した。その後でありすが僕に好意を抱いたとしても、それが本当に純粋な恋愛感情から発したものかどうかなんて保証は無い。ありす自身、そう思い込もうとしてただけかもしれない。
 しかし……それでも僕がありすを好きだったことだけは本当だ。僕も僕で、初めて肌を許してくれた女の子に過大な幻想を抱いていたのかも知れない。それが本当の恋愛なのかどうかなんて、どうでもいい話だ。とにかく僕はありすが好きだった。
 それがありす自身が選んだことだとわかっても、僕はありすを失った事実を素直に受け入れることなんか出来なかった。ほんの数か月前まではそんなものありはしなかったのに、ついさっきまでそこにあった温もりと、胸の中に大きく広がっていたとても大切なものの喪失に、僕の心は深く傷付いてしまった。

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

第12話「二人の関係」
 ありすの変化は僕を戸惑わせた。あの日、勢いに任せて一線を越えてしまったとはいえ、依然僕たちの関係は親の連れ子同士の義理の兄妹でしかない。その日以来、べた付き甘えるありすに対して僕は血の繋がった肉親の兄と同様にふるまってやろうと心掛けたけど、本当の妹なんていない僕にそれが十分に務まらないことは分かっていた。
「きっと今は誰か本当に甘えられる人にそばにいて欲しいのよ。それがたまたま敬ちゃんだったわけね」
 ちとせはそう言って、ありすが立ち直るまでは好きなように甘えさせてあげろと言った。しかし、四六時中子猫のように僕に付きまとい甘えるありすに、僕はいつしか戸惑いを通り越していとおしさを感じ始めていた。それはけっして兄が妹に対して感じるものなんかではなく、僕自身ありすをこのままいつまでも手放したくないと思い始めていた。
 ありすは口にこそ出さなかったけど、彼女の態度を見ても僕に兄以上のものを求めてるようだった。そにうち……最初は冗談だったのかも知れないけど、ありすは僕と唇を重ねて来た。もちろん、それはただのフレンチキスで、国によっては十分に兄妹間の親愛の情と認められるものだったけど。それ以来、僕たちはキスを交わす間柄になってしまった。人目をはばかる行為であるから、それは自宅で、ちとせのいない時に限られていたけど、僕たちにはそれが日常の行為になっていった。
 僕にはもう、ありすはいなくてはならない存在になっていた。妹としてではなく、一人の女の子として。すべてに気付いてたわけじゃないだろうけど日増しに親密さを増してる僕たちのことは当然ちとせに勘付かれていたのだろう。ある晩、ちとせは僕を呼び出して言った。
「まるで恋人同士さんみたいね。でも、仲が良過ぎても良いって話じゃないのよ」
 そんなことはわかっている。でも、もう僕は自分の感情を抑えられなくなっていた。これが本当の血を分けた妹なら最初からそんな感情は抱かなかったのかもしれないし、理性がそれを抑えることも出来ただろう。でも、僕とありすはたった二、三か月前に出会っただけの、遺伝子的にはあかの他人の男女である。本能的に肉親の感情を抱くよりも恋愛感情の方を強く抱いたとして、それにブレーキを掛けるものなんて何も無かった。
 何か言いたげだけど、それ以上は何も言えないでいるちとせの困惑だってわからないわけではない。「うん」と生返事で答えたけど、それが嘘に等しいことは自分が一番痛感していた。しかし、このまま感情の赴くままに流されていった帰結がどうなるかなんて、漠然とは危惧していたものの、それがそんな近くまで迫っていたとは、この時の僕には気付かなかった。

 はるなから電話のあった翌日。本来なら『ドキドキファンタ』のイベントに出掛けていたはずの日曜日。僕は何の予定も無いまま、普段の日曜通りの時間に起き出した。ちとせもありすも出掛けているらしく不在で、リビングにはさも当然のようにテレビの前に陣取ってるまりあがいた。
「けーちゃん、おはよう。ちーちゃんとあーちゃんは買い物に出掛けたよ」
 この欠食児童みたいな貧乏人に留守を預けて外出とは、二人とも物騒なやつら……と思ったが、とりあえずありすがイベントに出掛けて行ったわけじゃないのはわかった。
 日曜の朝といえば『ドキドキファンタ』の放送日である。ありすがアフレコをサボったのは二回だったが、今日の放送ではまだありすの声が流れていた。この作品の製作スケジュールがどうなってるのかは知らないけど、一般にテレビアニメのアフレコは放送の二、三週間前には終わってるという話だ。その通りだとすると、もう来週辺りの放送から危なくなってくる。ありすのファンタアップルも今日が聴き納めかもしれない。

 今回のエピソードは三クール目に入ってパワーアップしたファンタアップルにとって初めて訪れた大きな試練だった。巨大な敵ボス《ゲームマスター》の気まぐれから生み出されたパワーアップアイテムが林檎の元に転がり込んできたのだが、それを身に付けたキャラはバーサーカーとなって敵味方問わずに攻撃してしまうという代物だった。しかも本人にはその自覚が無いという凶悪なアイテムである。
 林檎自身はそのアイテムに何か違和感を覚えて使用をためらっていたのだが、それをラッキーとばかりに横取りしたファンタピーチがバーサーカー化して、メロン、チェリー、レモンの三人を傷付けてしまう。林檎はピーチを庇おうとするが、ピーチはそれを良いことに責任をすべて林檎になすりつけ、五人はみんな互いに不信感を抱いてバラバラになってしまうという話だった。
 少女向けのこの作品のことだから、次回にはわだかまりも解決して元の五人に戻るだろうとは思うけど、心なしかありすの演じる林檎の様子がひどく痛々しかった。

 昼食の時間になって二人は帰ってきた。
「お兄ちゃん、これ、眼鏡のお礼だよ」
 ありすは包装紙に包まれた箱を一つ、僕に渡した。
「お礼なんて別にいいのに……」
 僕はそう言いながら包みを開けた。中には双眼鏡が入っていた。眼鏡のお礼に双眼鏡って……駄洒落かいっ!
「声優さんの追っかけには必需品だよ」
 おまえが言うなと心でツッコみながらも、僕はありがたく頂戴しておいた。
「それからお兄ちゃん、今日の晩ご飯、外食でいいでしょ?」
「外食?」
 うちでは外食なんて、たまに父が帰国した時に呼び出されたりするぐらいしかなく、いつもはちとせの手料理だけだ。家計をやりくりしてるちとせに言わせれば、外食なんて割高でもったいないし、贅沢な味を覚えたら自分の料理なんか不味くて食ってくれなくなるからダメってことで、この件だけは口に出すのもタブーって感覚だった。
「お姉ちゃん、いつも食事の支度で大変でしょ。だからたまにはゆっくり食事を楽しんでほしいからって、私のプレゼントなの」
 何か普通の家庭では母の日にでも見られそうな話である。
「それなら外食なんかよりも、ありすが夕食を作ってやった方が喜ぶんじゃないか?」
 普段はボケボケなくせして金銭感覚にだけは厳しいちとせのことを思い出して言ったのだが……
「そ、それは言ってはいけないことよっ!」
 なぜか焦ったような口ぶりでありすは答えた。こいつ、うちに来るまでは一人で暮らしてただろうに、自炊は出来ないらしい。どうせ声優の仕事をサボって家で暇してるんなら、ちとせに料理でも習えば良いだろうにと思ったけど、口には出せなかった。
 それにしても、僕への眼鏡のお礼はともかく、ちとせにまで感謝のプレゼントとは何か気を遣い過ぎって気もしたけど、僕は二つ返事で諒承した。家族なんだからそんなに気配りする必要は無いって言いながら……

 その日の夕食は駅前の飲食店街の外れにある小さなステーキハウスだった。少しエレガントなムードの漂うこじゃれた店だったが……僕たちには不相応な高そうな店だった。こんなところで大丈夫かと心配したけど、ありすは笑顔で言った。
「お仕事のギャラ、使わずに貯めてあるから……」
 確かに生活費は三人分とも親から出てるみたいだし、小遣いはありすの分もちゃんと出てるから、ありすが声優の仕事で稼いだお金は浮いてることになるけど、こういう子役上がりの高校生でも一人前のギャラは出てるのかな? いわゆる養成所上がりの新人声優の場合、週一本のレギュラーだけじゃとても食ってはいけないって話は聞くけど、まぁ外食一回分ぐらいは心配する必要は無いのかも知れない。
「でも、これはお姉ちゃんへのごちそうだから、お兄ちゃんは自腹で払ってね」
 お、おい……
「うそ、冗談よ。お兄ちゃんの分もちゃんと出すから」
 お金の心配については本当にありすに全部出させてごちそうになって良かったのかどうか気になったけど、とりあえず食うものは食った。
「カラオケ行こ!」
 ステーキハウスを出た僕たちは、ありすに引っ張られて近くのカラオケBOXに入った。部屋に案内されるや否やリモコンを確保したままコードブックの新譜コーナーをチェックしていたありすは、目的の曲を見付けると、さっそく入力してマイクを取った。
「せっかく練習したんだから、お兄ちゃんとお姉ちゃんは聞いてね」
 それは先月末にシングルが発売されたありすのデビュー曲、つまり『ドキドキファンタ』の新OPテーマだった。どうやらこれが歌いたかった……というか、僕とちとせに聴かせたかったらしい。振り付けまで付けて本格的だったけど、客席からステージを見るならともかく、狭いカラオケBOXの一室で至近距離で目にしてもよくわからない。
 でも、夏のイベントツアーに向けて一生懸命練習したんだろうな。結局、一回も実演しないまますっぽかしてるけど。だから、カラオケBOXとはいえ、振り付け付きでありすの生歌を聴けたのはとてもレアなことなのかも知れない。
 初めて聴くありすの生歌は……予想してたより下手だった。まぁ僕たちの前で歌うことにあがっていたのかも知れないけど……こりゃ、CDやアニメで流れてるOPの歌はミキシング段階で相当に調整を掛けてるとみた。
 特別なステージはその一曲だけで、あとは普通のカラオケだった。ありすが基本的にマイクを離さないやつだというのはよくわかった。でも、下手糞だ。本当にこれでよくCDなんか出したものだと思う。いや、他の声優さんと比べてもありすが特別に下手だってわけじゃないんだろうけど……
 しかし、お姉ちゃんへの感謝とか言っておきながら、ちとせには全然マイクを渡してないと思うぞ。感謝はステーキハウスだけで終わってるのかも知れないけど。ま、ちとせの方も歌なんか歌えないって顔で困った表情を見せてたから、一、二曲強引に歌わせた以上に無理強いするのも良くないだろうし。いや、こいつはこいつで本当に歌える歌が無いって可能性も否定できないけど、実のところどうなんだろうか?
 とりあえず、歌えるだけ歌いつくしてたありすは満足だったろう。アニメの声優やってるからってその手の曲ばかりじゃなく、むしろ一般のアイドルソングの方が多かったりするのは普通なんだろうけど、かわいみなみの曲を何曲か集中的に歌ってたのは印象的だった。先輩との付き合いで歌い慣れてるのか、それとも歌の手本として挑戦してるのか、あるいは単に好きな曲として歌ってるのか、そのどれかはわからないけど……

 その晩。その日の『ドキドキファンタ』をCMカット編集して保存用のDVDメディアに収めた僕は、ネット上を巡回して他人の感想発言とかをチェックしていた。イベント絡みでありすに対する発言はあいかわらず不愉快なものが多かったけど、それらは極力読まないようにしていた。それから、僕が常連になってるある個人サイトの掲示板に自分の感想等を書いて、この日の日課は終わった。
 僕がそろそろベッドに入ろうかとした時、そっとドアが開いてパジャマ姿のありすが入ってきた。
「お兄ちゃん、一緒に寝ていい?」
 僕は返事に窮した。相手が普通の妹なら、それはただの添い寝の意味と受け取るべきなんだろうけど、すでに一線を越えてしまった僕たちにとってそれは別の意味も有り得た。そんなことはありすだって知ってるはずだ。
「お兄ちゃん、ありすのこと好き?」
 ありすは思い詰めた表情で言った。
「も、もちろん。当然だろ」
「家族としてじゃなくて、女の子として、だよ」
 即答に窮して僕は唾液を飲み込んだ。なんてことを訊くんだ、と僕は戸惑ったが、ありすは切なそうな瞳で答えを求めていた。どうやら冗談半分で訊いてるわけじゃないみたいだ。
「本気で訊いてるのか?」
 ありすはこくりと肯いた。
「好きだよ。僕はありすのことが好きだ。本当はいけないことなんだろうけど……」
 僕は何となく目を逸らしながら言った。互いに見つめ合って言ってしまえば、僕がありすを追い詰めるような気がしたからだ。
「よかった……ありすもお兄ちゃんが好きだよ。本当に好きだよ」
 ありすはそう言って僕に抱き付いて来た。僕もありすを抱きしめ、しばらくお互いの温もりを感じ合った・
「お兄ちゃん……」
 ありすはか細い声で切り出した。
「私、お兄ちゃんに謝らなければいけないの」
 何か言い難いことを言い出そうとしているありすに、僕は性行為に付きものの結果について危惧した。この前は避妊なんて余裕なんか無かったから、妊娠してたって可能性は十分ありえる。
 まさかそのまま産ませるわけにはいかないから中絶させるにしても手術代が掛かるし……中絶手術って保険が効いたんだっけ? それにそのことを隠し通せるわけはないから、いずれ両親にもバレてしまうだろう。その先のことを考えようとしたら頭の中が真白になった。
 でも、ありすの話はそんなことではなかった。
「ありす、今はお兄ちゃんのことが大好きだよ。でも……あの時はそうじゃなかったの。私はお兄ちゃんなんかどうでも良かった。ありすのこと優しく抱いてくれる人なら誰でも良かったの。たまたまお兄ちゃんがいたから、ありすはお兄ちゃんを騙してあんなことをしたの……」
 あの時のことって……僕とありすが兄妹の一線を越えた時のことなのか? 誰でも良かったって……僕を騙したって……そんなの女の子が簡単にすることじゃないだろ。あの日、いったい何があったんだ?
「お兄ちゃん。あの日のことで責任を感じてありすのことが好きだって言ってくれるんなら、嫌いになってくれてもいいよ。ありすは自分勝手で酷い女の子だから……」
「嫌いになんかなるものか! あの日のことなんか無かったって、僕はありすが好きだよ」
 涙を浮かべながら告白を続けようとしているありすを、僕は再びきつく抱きしめた。
「ありすのこと許してくれるの?」
「許すも何も、怒ってなんかいないよ」
「お兄ちゃん……ありすもお兄ちゃんのことが好きでいいのね」
「ああ」
 僕がそう答えると、ありすは僕の首に腕を回し、体を持ち上げ、僕に深く口付けた。
「お願い、お兄ちゃん。お兄ちゃんとの関係があの時のままだと嫌なの。本当にお兄ちゃんのこと好きになったありすと、エッチして……」
 僕はそのありすの誘いを断れず、また後先考えず、その結果がどうなるかも分からずに感情の赴くままにありすを抱いた。

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

第11話「妹以上、恋人未満」
 その日、僕とありすは取り返しの付かない一線を越えてしまった。二人が平常心を取り戻し部屋に別れた頃にはもう夕方の陰りが出掛けていたが、幸いにもちとせはそれまでには帰って来なかったので、その行為を直接知られることは無かった。
 ちとせはただ予定より早く帰宅していたありすの存在と、脱衣場の洗濯物入れに早々と入れられていた衣類を怪訝に思ったようだけど、衣類の件は夕立に濡れたと言って納得させた。別にウソは言ってない。
 ありすのことは僕も気になっていたけど、本人が少しも話す素振りを見せない以上、無理に聞き出すこともないと思った。何よりせっかくありすと和解できたんだし(というかそれ以上の関係になってしまったわけだけど)、また関係を悪化させたくはなかったからだ。
 その日の夕食はさすがにあんなことの直後なのでお互いに顔を合わせるのが気恥ずかしく、この間までみたいにそっぽを向いてしまったが、微妙な態度の違いに気付いたのかどうなのか、ちとせはいつも通りにニコニコしていた。それもその日だけで翌日から僕とありすは以前の態度に戻っていた。さすがにこれにはちとせも気付いただろうけど、とくに問い質そうともせずにやはりニコニコしてるだけだった。
 そしてありすはそれ以来、僕にべたべたくっつくようになった。起きて家にいる時は大半を僕の部屋で過ごすようになったし、映画とかショッピングだとか、何かと一緒に連れ出されるようになった。一日中僕の部屋にいるといっても別にえっちなことをしてるわけじゃない。ただ僕の部屋で自分の宿題をやっていたり本を読んだりしてるだけで、ごくたまに会話があるだけのことが多い。最初はどう対応したらいいのかわからなかったけど、早い話、食事時にダイニングにいるのやリビングでくつろいでるのと同じで、たぶん空間を共有してることがありすには満足そうで、それ以上に気遣う必要は無かった。

 困ったのは、どうやって探し出したのか例のはるなが置いていったエロ同人誌を見付け出された時だった。
「お兄ちゃん、これ声に出して読んで欲しい?」
 ありすはファンタアップルの声で言った。ありすが僕の前でキャラの声を口に出したのは、あの出会いの日以外では初めてだった。思わず肯きそうになったしまった僕だけど、理性がそれを押しとどめた。家の中で声を出したりしたら、ちとせにそれを聞かれてどう思われるかわからないし、本当にエロ同人誌をそのままファンタアップルの声で読まれたら、間違いなくありすを押し倒してしまいそうだったからだ。
 ありすは顔を赤らめながら興味深そうにしばらくそのエロ同人誌を眺めていたけど、やがて飽きたみたいで放り出した。
「この作品始めた時、みなみちゃんに同人誌は見ない方が良いって言われたけど、こんなものが作られてるわけね。お兄ちゃんが萌黄さんと作ってる同人誌も、やっぱりこういう本なの?」
「そんなやらしいの描けるわけないだろ! それはあの同人女が勝手に持ち込んで来ただけで……」
「『うちと、こういうことせぇへんか?』とか言って?」
 ありすははるなの関西弁をまねた口調で言った。
「そんな関係じゃないだろ」
 僕がそう答えると、ありすは意外そうな顔をした。
「あの子、お兄ちゃんのカノジョじゃなかったんだ……」
 な、なんでそうなるんだ? 確かにそうでもなけりゃ、男子の部屋に日参するような女の子はいないのかも知れないけど……
「じゃ、私でもOKなんだね」
 ありすは何か思い付いたようにもう一度あのエロ同人誌を手に取り、あるページを示して言った。
「お兄ちゃん、ありすとこういうことしたくない?」
「バカ!」
 僕はありすから同人誌を取り上げた。いや、心が動かされなかったと言えば嘘になるけど、ありすだって冗談で言っただけだろうし、そんなことすれば本当に取り返しの付かないことになってしまう。あの日のありすは何があったのか行動が異常で、その日僕たちにあったことはただの事故だったと僕は自分に納得させていた。
 事実、ありすは僕にべたべたし始めたけど、もうあの日のような行動は見せなかったし、それが当然だった。あの日ありすに何があったのか僕は知らなかったし、ありすも何も言わなかった気けど、それが他人に言えない何か深刻な出来事だったってことは容易に想像が付いた。あの日の翌日、ちとせが東山先生と何か電話で話してるのを見掛けたからちとせは何か知ってるんだろうけど、それを僕には教えてくれなかった。

 あの日を境にありすが変わったのは僕に対する態度だけじゃなかった。あれだけ似合わずにきつい印象だけを与えていた眼鏡をまったく掛けなくなったことだった。夏休みで家にいるから面倒で掛けなくなったのかと思ったけど、よく観察してたら勉強したり外へ出掛けたりする時はコンタクトレンズを填めてるみたいだった。
 それ以外のコンタクトレンズを付けていない時のありすは焦点の定まらないマヌケな表情をして、よくあちこちにぶつかったりつまづいたりしていて、とても人気のアイドル声優とは思えない姿をさらしている。一方、コンタクトを付けた時は顔に締まりも出来て美少女顔が引き立ち行動も様になってるんだけど、目に馴染まないのか頻繁に目薬を差していた。
 眼鏡のきつい顔付きのありすを見るよりは萌え系美少女顔の素顔のありすの方が見ていて和むから、夏休みの間はそのままにしとこうかと思ってたのだけど、コンタクトを付けたありすも付けないありすも、何かどちらも痛々しく見えたから、僕は眼鏡を掛けなくなった理由を訊いた。
「こわれたから」
 ありすはぽそっと言い、それ以上は何も語ろうとはしなかった。何か語りたくない出来事があって眼鏡が壊れ、そしてあの日の異常なありすの行為につながっていったに違いない。たぶん、もう思い出したくもない出来事なのだろう。眼鏡が壊れたということは、レンズが割れたぐらいの話じゃなく、フレームまでもう使い物にならなくなったんだろう。あれだけあの眼鏡を大事にしていたありすだ。使えるならとっくに修理してるところだ。事故じゃないとすれば、何か酷い暴力行為でも受けたのだろうか?
 僕は原因の詮索はやめることにして、これ幸いとありすを眼鏡屋に連れ出していった。夏休みが終わった後、学校で素顔をさらしてるありすなんか想像したくなかったし、放っておいて自分でまた同じようなきつい似合わない眼鏡でも調達されたら大変だ。ありすの素顔をガードして、かつ、普通の女の子くらい穏やかさの感じられる眼鏡を僕の手で選んであげるんだ。
 ありすはよほど前の眼鏡に愛着があったらしく、僕の申し出に躊躇し、見繕ったフレームに反発を示したりもしたけど、最終的には僕のプレゼントを受け入れてくれた。これで新学期になっても前のようなきつい表情のありすを昼夜目にしなくて済むだろう。もっとも買って来た新しい眼鏡をすぐには掛けてくれなかったけど……

 あの日以来のありすの変化で一番深刻なことが別にあった。それは、あの日以来、ありすは予定のイベントにも劇団のレッスン日にも、そして『ドキドキファンタ』のアフレコにもまったく出掛けなくなってしまったことだ。普通の高校生の夏休みのようにのんびりと休暇を過ごしていたといえば聞こえは良いけど、レギュラーの仕事を持ってる声優さんにそんなことが許されるはずはない。劇団のレッスンは一度や二度サボったところでどうということは無いだろうし、イベントは急病だと言えば取り繕いも出来る。しかし、主役をやってるアニメ番組のアフレコに穴を開けたら大変だってことは関係者じゃない僕にだってわかる。
 あの日のありすにいったい何があってこんな風に変わってしまったのか知らないけど、『ドキドキファンタ』のファンとしてはけっして納得のいくことではない。当然事情を知ってると思うちとせに訊ねてみたのだけど……
「本人が出て行きたいと思うまで休んでて構わないって、東山先生が言ってたわ」
 そう答えるだけだった。
 まぁ劇団のレッスンはそれで構わないとしても、テレビアニメのアフレコなんて毎週、次から次へと終わらせないといけないんだからそれでは済まないだろ。当日だけ急に出られなくなったとかいうのなら別録りもあるだろうけど、こうずっと家に引きこもってたらそれも無理。放送に穴を開けないためには代役の声優さんを立てるしかないだろう。それでもまだ見切りを付けられない間に復帰したら短期のリリーフってことだけで済むだろうけど、見切りを付けられちゃうと主役降番ってことになる。それだけじゃ済まずにこの業界から干されることにもなりかねない。事務所とトラブルを起こして業界から干されてしまった声優さんや、コンサートをすっぽかして廃業させられたアイドル歌手の噂を思い出した。

 あの日、ありすが博多のイベントに出演せずに帰って来たことはネットの掲示板で知った。会場では急病による欠場とアナウンスされたらしく、しばらくありすを気遣う書き込みが続いていた。しかし、それに続いて広島と岡山のイベントに欠場し、『ドキドキファンタ』のアフレコをサボったあたりから書き込みが変わってきた。公式には急病ということで心配する発言も多いのだけど、ありすがプッツンしてすっぽかしてるんじゃないかと叩く書き込みが次第に目立ち始め、ついには有ること無いこと中傷する発言が繰り返されるようになった。
 もちろん、僕でさえ知らない事情を多くの掲示板参加者が知るはずが無いから根拠の無い中傷発言なんかが続くわけは無いのだけど、ある情報ソースの存在がその手の発言に根拠を与えてしまっていた。それは『ドキドキファンタ』の出演者でもある、ある中堅の男性の声優さんが自分のブログに書いた記事だった。
 その記事は具体的にありすの名前や作品名を出してはいないけど、その声優さん自身の出演状況やイベントの日程などからありすのことであるのは明白だった。伝聞であるとは断ってはいるものの、当日、九州某都市の会場までは来ていたのに個人的なトラブルで怒って帰ってしまったとか、その後のイベントやアフレコも仮病を使って休んでるということが書かれていた。書いた本人としては誹謗中傷のつもりはなく、すっぽかせば他の出演者に迷惑が掛かるからどうにかしてくれって愚痴に近いものだったんだろうけど、口の悪い一部のネットワーカーたちはそうとは受け取らなかったわけである。
 当初は大手の巨大匿名掲示板グループの声優板と呼ばれるところに立てられたスレッドだけだったのが、同じ掲示板グループのアニメ板に飛び火したかと思えば、数日中にはネット中の主な声優系やアニメ系の個人サイトの掲示板までもありすへの非難が見受けられるようになってしまっていた。
 好ましくない発言の集中した掲示板の中には管理人によって閉鎖されるものも相次ぎ、『ドキドキファンタ』の公式サイトの掲示板や、劇団《うみすずめ》の掲示板、それにいくつかの一条ありすのファンサイトの掲示板がそうだった。火種の元となった声優さんのブログもコメント欄が炎上し、早々とコメント禁止になっていた。
 僕はそれらの書き込みを見るには耐えず、しばらく巡回先から外すことに決めたのだけど、肝心のありすがそれらを目にしたのかどうかはわからない。ありすの部屋にも自由にネットにアクセスできる環境は備えてあるけど、あの日以来、多くの時間を僕の部屋で過ごしてるありすはそういう話題にはまったく触れなかったからだ。

 やがて地元での『ドキドキファンタ』のイベント開催日が近付いてきた。ありすは相変わらずで、前の週の神戸と大阪の会場も、直前の名古屋会場のイベントににも出て行かずに普通の夏休みを過ごしていた。
 地元イベントの前日、はるなから電話があった。なんかもうすっかり忘れていたけど、そういえばこいつと一緒に行く約束をしてたのだった。
「妹はんのことやけど……なんや欠席が続いとるっちゅう話聞くけど、ほんまか?」
「ああ」
「何か重い病気にでも罹ったんか? それとも事故で怪我して入院しとるとか?……それにしたらネットでえらい叩かれとるみたいやけどな」
 僕は答えに窮したけど、はるなに嘘を言ったってしょうがないから、とりあえず当たり障りの無いように答えた。
「いや、本人は元気でうちにいるけど……事情は聞かんでやってくれ」
「なんや大変なことでもあったんか? しかし、それやったら明日のイベントかて出て来やへんのんか?」
「たぶん……そうじゃないかな」
 僕にしたってありすがサボってる事情がわからないし、東山先生が本人しだいだって言ってる以上、確実なことなんて言えないけど……今さらありすがイベント会場に行ったって出してくれないような気がするし……
「それやったらしゃあないなぁ。目当ての妹はんが出ぇへんのやったら、明日のイベント行ったって仕方あらへんやろ。この話は無しにしよ」
 はるなは残念そうにそう言った。
「ああ、それからこっちが大事な話やけどなぁ……」
 一息おいた後にはるなはモエケット当日の待ち合わせ等の話を始めた。
「まぁ有明の最大手のイベントとは違うて、そんなにマスコミの話題になるほど人出があるわけやあらへんから、駅で待ち合わせしてて人ごみで迷子になるっちゅうことはあらへんやろうけど、万が一のときはサークル入場の列に並んで一人で入って来てや。チケットは近日中に届くように送るさかい。うちがおらへんでも本の受け取りとブースの設営はやっといてな」
 本の受け取りというのは、印刷所から完成した同人誌を直接会場宛に送ってもらうので、それを受け取ってくる作業らしい。ブースの設営というのは、手作りのイベントなので長机とパイプイスを自分たちで所定の場所に並べなければならないらしい。あと宣伝用のPOPとかも貼り出したりする。口で言うのは簡単だけど初心者には戸惑う作業だろ。まぁブースの長机は隣のサークルとの共用らしいから、分からなければお隣さんに聞けば良いんだろうけど……
「ほな、頼むで」
 はるなはそう言うと電話を切った。あえて口にはしなかったんだろうけど、はるなは明日のイベントのことはとても残念がってるように感じた。でも、明日は有明の最大手イベントの最終日でもある。この同人女のことだから明日はそっちで暇潰しするんだろうなと思った。
 有明のイベントといえば、中日の今日は創作文芸系のジャンルで参加するとかでちとせも出掛けてたっけ。もっとも、ちとせは売り子が専門で同人誌を漁りに行ってるわけじゃないみたいだけど……

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

copyright © 2007 もえるおはなし all rights reserved.
Powered by FC2 blog. Template by F.Koshiba.
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。