もえるおはなし
そこはかとなく書き綴る脳内ラノベ
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第11話「妹以上、恋人未満」
 その日、僕とありすは取り返しの付かない一線を越えてしまった。二人が平常心を取り戻し部屋に別れた頃にはもう夕方の陰りが出掛けていたが、幸いにもちとせはそれまでには帰って来なかったので、その行為を直接知られることは無かった。
 ちとせはただ予定より早く帰宅していたありすの存在と、脱衣場の洗濯物入れに早々と入れられていた衣類を怪訝に思ったようだけど、衣類の件は夕立に濡れたと言って納得させた。別にウソは言ってない。
 ありすのことは僕も気になっていたけど、本人が少しも話す素振りを見せない以上、無理に聞き出すこともないと思った。何よりせっかくありすと和解できたんだし(というかそれ以上の関係になってしまったわけだけど)、また関係を悪化させたくはなかったからだ。
 その日の夕食はさすがにあんなことの直後なのでお互いに顔を合わせるのが気恥ずかしく、この間までみたいにそっぽを向いてしまったが、微妙な態度の違いに気付いたのかどうなのか、ちとせはいつも通りにニコニコしていた。それもその日だけで翌日から僕とありすは以前の態度に戻っていた。さすがにこれにはちとせも気付いただろうけど、とくに問い質そうともせずにやはりニコニコしてるだけだった。
 そしてありすはそれ以来、僕にべたべたくっつくようになった。起きて家にいる時は大半を僕の部屋で過ごすようになったし、映画とかショッピングだとか、何かと一緒に連れ出されるようになった。一日中僕の部屋にいるといっても別にえっちなことをしてるわけじゃない。ただ僕の部屋で自分の宿題をやっていたり本を読んだりしてるだけで、ごくたまに会話があるだけのことが多い。最初はどう対応したらいいのかわからなかったけど、早い話、食事時にダイニングにいるのやリビングでくつろいでるのと同じで、たぶん空間を共有してることがありすには満足そうで、それ以上に気遣う必要は無かった。

 困ったのは、どうやって探し出したのか例のはるなが置いていったエロ同人誌を見付け出された時だった。
「お兄ちゃん、これ声に出して読んで欲しい?」
 ありすはファンタアップルの声で言った。ありすが僕の前でキャラの声を口に出したのは、あの出会いの日以外では初めてだった。思わず肯きそうになったしまった僕だけど、理性がそれを押しとどめた。家の中で声を出したりしたら、ちとせにそれを聞かれてどう思われるかわからないし、本当にエロ同人誌をそのままファンタアップルの声で読まれたら、間違いなくありすを押し倒してしまいそうだったからだ。
 ありすは顔を赤らめながら興味深そうにしばらくそのエロ同人誌を眺めていたけど、やがて飽きたみたいで放り出した。
「この作品始めた時、みなみちゃんに同人誌は見ない方が良いって言われたけど、こんなものが作られてるわけね。お兄ちゃんが萌黄さんと作ってる同人誌も、やっぱりこういう本なの?」
「そんなやらしいの描けるわけないだろ! それはあの同人女が勝手に持ち込んで来ただけで……」
「『うちと、こういうことせぇへんか?』とか言って?」
 ありすははるなの関西弁をまねた口調で言った。
「そんな関係じゃないだろ」
 僕がそう答えると、ありすは意外そうな顔をした。
「あの子、お兄ちゃんのカノジョじゃなかったんだ……」
 な、なんでそうなるんだ? 確かにそうでもなけりゃ、男子の部屋に日参するような女の子はいないのかも知れないけど……
「じゃ、私でもOKなんだね」
 ありすは何か思い付いたようにもう一度あのエロ同人誌を手に取り、あるページを示して言った。
「お兄ちゃん、ありすとこういうことしたくない?」
「バカ!」
 僕はありすから同人誌を取り上げた。いや、心が動かされなかったと言えば嘘になるけど、ありすだって冗談で言っただけだろうし、そんなことすれば本当に取り返しの付かないことになってしまう。あの日のありすは何があったのか行動が異常で、その日僕たちにあったことはただの事故だったと僕は自分に納得させていた。
 事実、ありすは僕にべたべたし始めたけど、もうあの日のような行動は見せなかったし、それが当然だった。あの日ありすに何があったのか僕は知らなかったし、ありすも何も言わなかった気けど、それが他人に言えない何か深刻な出来事だったってことは容易に想像が付いた。あの日の翌日、ちとせが東山先生と何か電話で話してるのを見掛けたからちとせは何か知ってるんだろうけど、それを僕には教えてくれなかった。

 あの日を境にありすが変わったのは僕に対する態度だけじゃなかった。あれだけ似合わずにきつい印象だけを与えていた眼鏡をまったく掛けなくなったことだった。夏休みで家にいるから面倒で掛けなくなったのかと思ったけど、よく観察してたら勉強したり外へ出掛けたりする時はコンタクトレンズを填めてるみたいだった。
 それ以外のコンタクトレンズを付けていない時のありすは焦点の定まらないマヌケな表情をして、よくあちこちにぶつかったりつまづいたりしていて、とても人気のアイドル声優とは思えない姿をさらしている。一方、コンタクトを付けた時は顔に締まりも出来て美少女顔が引き立ち行動も様になってるんだけど、目に馴染まないのか頻繁に目薬を差していた。
 眼鏡のきつい顔付きのありすを見るよりは萌え系美少女顔の素顔のありすの方が見ていて和むから、夏休みの間はそのままにしとこうかと思ってたのだけど、コンタクトを付けたありすも付けないありすも、何かどちらも痛々しく見えたから、僕は眼鏡を掛けなくなった理由を訊いた。
「こわれたから」
 ありすはぽそっと言い、それ以上は何も語ろうとはしなかった。何か語りたくない出来事があって眼鏡が壊れ、そしてあの日の異常なありすの行為につながっていったに違いない。たぶん、もう思い出したくもない出来事なのだろう。眼鏡が壊れたということは、レンズが割れたぐらいの話じゃなく、フレームまでもう使い物にならなくなったんだろう。あれだけあの眼鏡を大事にしていたありすだ。使えるならとっくに修理してるところだ。事故じゃないとすれば、何か酷い暴力行為でも受けたのだろうか?
 僕は原因の詮索はやめることにして、これ幸いとありすを眼鏡屋に連れ出していった。夏休みが終わった後、学校で素顔をさらしてるありすなんか想像したくなかったし、放っておいて自分でまた同じようなきつい似合わない眼鏡でも調達されたら大変だ。ありすの素顔をガードして、かつ、普通の女の子くらい穏やかさの感じられる眼鏡を僕の手で選んであげるんだ。
 ありすはよほど前の眼鏡に愛着があったらしく、僕の申し出に躊躇し、見繕ったフレームに反発を示したりもしたけど、最終的には僕のプレゼントを受け入れてくれた。これで新学期になっても前のようなきつい表情のありすを昼夜目にしなくて済むだろう。もっとも買って来た新しい眼鏡をすぐには掛けてくれなかったけど……

 あの日以来のありすの変化で一番深刻なことが別にあった。それは、あの日以来、ありすは予定のイベントにも劇団のレッスン日にも、そして『ドキドキファンタ』のアフレコにもまったく出掛けなくなってしまったことだ。普通の高校生の夏休みのようにのんびりと休暇を過ごしていたといえば聞こえは良いけど、レギュラーの仕事を持ってる声優さんにそんなことが許されるはずはない。劇団のレッスンは一度や二度サボったところでどうということは無いだろうし、イベントは急病だと言えば取り繕いも出来る。しかし、主役をやってるアニメ番組のアフレコに穴を開けたら大変だってことは関係者じゃない僕にだってわかる。
 あの日のありすにいったい何があってこんな風に変わってしまったのか知らないけど、『ドキドキファンタ』のファンとしてはけっして納得のいくことではない。当然事情を知ってると思うちとせに訊ねてみたのだけど……
「本人が出て行きたいと思うまで休んでて構わないって、東山先生が言ってたわ」
 そう答えるだけだった。
 まぁ劇団のレッスンはそれで構わないとしても、テレビアニメのアフレコなんて毎週、次から次へと終わらせないといけないんだからそれでは済まないだろ。当日だけ急に出られなくなったとかいうのなら別録りもあるだろうけど、こうずっと家に引きこもってたらそれも無理。放送に穴を開けないためには代役の声優さんを立てるしかないだろう。それでもまだ見切りを付けられない間に復帰したら短期のリリーフってことだけで済むだろうけど、見切りを付けられちゃうと主役降番ってことになる。それだけじゃ済まずにこの業界から干されることにもなりかねない。事務所とトラブルを起こして業界から干されてしまった声優さんや、コンサートをすっぽかして廃業させられたアイドル歌手の噂を思い出した。

 あの日、ありすが博多のイベントに出演せずに帰って来たことはネットの掲示板で知った。会場では急病による欠場とアナウンスされたらしく、しばらくありすを気遣う書き込みが続いていた。しかし、それに続いて広島と岡山のイベントに欠場し、『ドキドキファンタ』のアフレコをサボったあたりから書き込みが変わってきた。公式には急病ということで心配する発言も多いのだけど、ありすがプッツンしてすっぽかしてるんじゃないかと叩く書き込みが次第に目立ち始め、ついには有ること無いこと中傷する発言が繰り返されるようになった。
 もちろん、僕でさえ知らない事情を多くの掲示板参加者が知るはずが無いから根拠の無い中傷発言なんかが続くわけは無いのだけど、ある情報ソースの存在がその手の発言に根拠を与えてしまっていた。それは『ドキドキファンタ』の出演者でもある、ある中堅の男性の声優さんが自分のブログに書いた記事だった。
 その記事は具体的にありすの名前や作品名を出してはいないけど、その声優さん自身の出演状況やイベントの日程などからありすのことであるのは明白だった。伝聞であるとは断ってはいるものの、当日、九州某都市の会場までは来ていたのに個人的なトラブルで怒って帰ってしまったとか、その後のイベントやアフレコも仮病を使って休んでるということが書かれていた。書いた本人としては誹謗中傷のつもりはなく、すっぽかせば他の出演者に迷惑が掛かるからどうにかしてくれって愚痴に近いものだったんだろうけど、口の悪い一部のネットワーカーたちはそうとは受け取らなかったわけである。
 当初は大手の巨大匿名掲示板グループの声優板と呼ばれるところに立てられたスレッドだけだったのが、同じ掲示板グループのアニメ板に飛び火したかと思えば、数日中にはネット中の主な声優系やアニメ系の個人サイトの掲示板までもありすへの非難が見受けられるようになってしまっていた。
 好ましくない発言の集中した掲示板の中には管理人によって閉鎖されるものも相次ぎ、『ドキドキファンタ』の公式サイトの掲示板や、劇団《うみすずめ》の掲示板、それにいくつかの一条ありすのファンサイトの掲示板がそうだった。火種の元となった声優さんのブログもコメント欄が炎上し、早々とコメント禁止になっていた。
 僕はそれらの書き込みを見るには耐えず、しばらく巡回先から外すことに決めたのだけど、肝心のありすがそれらを目にしたのかどうかはわからない。ありすの部屋にも自由にネットにアクセスできる環境は備えてあるけど、あの日以来、多くの時間を僕の部屋で過ごしてるありすはそういう話題にはまったく触れなかったからだ。

 やがて地元での『ドキドキファンタ』のイベント開催日が近付いてきた。ありすは相変わらずで、前の週の神戸と大阪の会場も、直前の名古屋会場のイベントににも出て行かずに普通の夏休みを過ごしていた。
 地元イベントの前日、はるなから電話があった。なんかもうすっかり忘れていたけど、そういえばこいつと一緒に行く約束をしてたのだった。
「妹はんのことやけど……なんや欠席が続いとるっちゅう話聞くけど、ほんまか?」
「ああ」
「何か重い病気にでも罹ったんか? それとも事故で怪我して入院しとるとか?……それにしたらネットでえらい叩かれとるみたいやけどな」
 僕は答えに窮したけど、はるなに嘘を言ったってしょうがないから、とりあえず当たり障りの無いように答えた。
「いや、本人は元気でうちにいるけど……事情は聞かんでやってくれ」
「なんや大変なことでもあったんか? しかし、それやったら明日のイベントかて出て来やへんのんか?」
「たぶん……そうじゃないかな」
 僕にしたってありすがサボってる事情がわからないし、東山先生が本人しだいだって言ってる以上、確実なことなんて言えないけど……今さらありすがイベント会場に行ったって出してくれないような気がするし……
「それやったらしゃあないなぁ。目当ての妹はんが出ぇへんのやったら、明日のイベント行ったって仕方あらへんやろ。この話は無しにしよ」
 はるなは残念そうにそう言った。
「ああ、それからこっちが大事な話やけどなぁ……」
 一息おいた後にはるなはモエケット当日の待ち合わせ等の話を始めた。
「まぁ有明の最大手のイベントとは違うて、そんなにマスコミの話題になるほど人出があるわけやあらへんから、駅で待ち合わせしてて人ごみで迷子になるっちゅうことはあらへんやろうけど、万が一のときはサークル入場の列に並んで一人で入って来てや。チケットは近日中に届くように送るさかい。うちがおらへんでも本の受け取りとブースの設営はやっといてな」
 本の受け取りというのは、印刷所から完成した同人誌を直接会場宛に送ってもらうので、それを受け取ってくる作業らしい。ブースの設営というのは、手作りのイベントなので長机とパイプイスを自分たちで所定の場所に並べなければならないらしい。あと宣伝用のPOPとかも貼り出したりする。口で言うのは簡単だけど初心者には戸惑う作業だろ。まぁブースの長机は隣のサークルとの共用らしいから、分からなければお隣さんに聞けば良いんだろうけど……
「ほな、頼むで」
 はるなはそう言うと電話を切った。あえて口にはしなかったんだろうけど、はるなは明日のイベントのことはとても残念がってるように感じた。でも、明日は有明の最大手イベントの最終日でもある。この同人女のことだから明日はそっちで暇潰しするんだろうなと思った。
 有明のイベントといえば、中日の今日は創作文芸系のジャンルで参加するとかでちとせも出掛けてたっけ。もっとも、ちとせは売り子が専門で同人誌を漁りに行ってるわけじゃないみたいだけど……

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

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